『霊異記』のなかで、小子部栖軽が雷神を勧請する前に天皇が交合する場面がありましたが、これは雷を暗示していると考えてもいいのでしょうか。また、『書紀』の三輪山の大蛇も雷を連想させるものなのですか?

鋭いですね。一説によると、大安殿での交合は、やはり農耕の豊穣を祈るための儀式だったのではないかとも考えられています。現在でも、農耕予祝儀礼のひとつとして、男女がもつれあうように舞う芸能が存在します。性交渉を擬することで収穫を祈るのはよくあることで、『霊異記』が『書紀』に比べ雷神勧請の要素を強く反映していることを考えると、充分可能性のある考え方です。また、『書紀』では雷神が三輪神に置き換えられていますが、飛鳥周辺においては、三輪神が水神・雷神てき性格を併有する農耕祭祀の主神だったのでしょう。『書紀』のラストでは蜾蠃が「雷」の名を貰ったように書いていますが、あれは本来、雷のような音をたて稲光を発していた三輪神へ「雷神」の名称を奉ったと解すべきもののようです。