亀卜が日本へ入ってきたことによって、鹿を使った太占は行われなくなったのでしょうか。

王権のなかでは用いられなくなりましたが、地域社会においては実践され続けています。現在でも、青梅の御獄神社など、関東の数社に鹿卜の神事が残っています。弥生時代には、各地で鹿卜の痕跡が見つかっていますし、鳥取の青谷上寺地遺跡では、200余もの卜骨が出土しています。面白いのは、その卜骨のなかに3枚セットになっているものが存在することです。何が面白いのかというと、殷代には三卜制なる規則があって(3人が占って多数決をとる、あるいは3人占ううちの最後は王が担い、最終判断を下す)、甲骨のなかにやはり3枚セットで出土するものがあるのです。もちろん文化が直接繋がっているわけではないでしょうが、興味深いことです。