2009-05-25から1日間の記事一覧

仏教思想には、「一切衆生悉有仏性」など生命平等主義的な考えがあるはずだが、なぜ六道のなかの畜生道は人間道よりも下に位置するのだろうか。

別の講義でも話したのですが、確かに仏教には「生命圏平等主義」的な考え方があるのですが、そこには様々な留保も付けられているのです。例えば「一切衆生悉有仏性」という文言の典拠である『大般涅槃経』ですが、この経典の別の箇所では、石や瓦礫などの「…

伝統と革新のバランスが崩れると、どのような影響があったのだろうか。/ 神格化された天皇の意図が果たされなかった場合、どのように言い訳されたのだろう。

非常に抽象的ないい方になりますが、改革の進め方が急激でありすぎ、旧来のものの考え方やそれを重視する勢力、旧体制から利益を得ている勢力をないがしろにしすぎると、反対派を強固にし、ときには反乱を招くこともあるでしょう。孝徳〜持統朝の間に謀叛事…

祈年祭は神と天皇との矛盾のなかで衰えていったとのことですが、農耕予祝儀礼そのものがなくなってしまったのでしょうか。

そういうわけではありません。農耕の豊穣を祈る祭儀、あるいはそれに感謝する祭儀は、年中行事のなかで最も基本的なものです。民間では古来より現在に至るまでずっと続いていますし、国家的にも形を変えて存続してゆきます。国家祭祀の形態は、祈年祭にみる…

三種の神器はいつごろ確立したのでしょう。中国にはそれに相当するものはあったのですか。

実は、確立していたのかどうか定かではないものなんですね。まず、剣・鏡・玉の3点セットは、5世紀後半頃、神祭りの道具として列島各地へ画一化されてゆきます。恐らく、大王が天皇として神格化される際に、神祭りの祭具も即位儀式のなかへ取り込まれたの…

私の実家は条里の真ん中にあります。通っていた高校は陣屋跡に建っているのですが、江戸時代の変則的な町並みなども条里制のような整地に基づいていたのでしょうか。

大規模な整地と舗装は古代的開発の特徴なのですが、江戸時代の町や村も、都市の圏内であれば整地を伴った可能性がありますね。ようは町並みが変則的な否かではなく、家々を立てるための平坦地の確保がどのように行われているか、治水や灌漑などの仕組みがど…

仏教が伝来していた当時も、宮廷では天皇を神と信仰していたのでしょうか。神仏の関係がどうなっていたのか気になります。

そうです。ですから、聖武天皇以前は、天皇が仏教と神祇祭祀をバランスよく交流させながら天下を統治する、という形式を採ります。仏も基本的には、数多ある神々のひとつと認識されるわけです(この点、実は細かいところで異論があるのですが、今は措きます…

持統天皇は何度も吉野へ行幸して自然のエネルギーを得ていたとのことですが、それが公に分かれば権威が失われると思うのですが?

そうした完全なヒエラルキー構造としては、天皇と自然との関係をみていなかったと思います。天皇は、確かに自然神の上に立つものとして位置付けられてゆきますが、その内実には自然を祭祀するシャーマンとしての本質をずっと持ち続けてゆきます。講義でお話…

鵜飼いの漁法は、正直あまり快いものではない。一度動物の口に入ったものを、天皇の食事に出してもいいものだろうか。鵜飼いにはよほどの霊性があるのだろうか。

7世紀段階では未だそのような感性は表れていないでしょうが、平安〜中世にかけて仏教の不殺生戒が広がってくると、鵜漁によって得た魚は「殺生によって得たものではない」として重宝がられます。結局、鵜匠が宮内庁の所属になってゆくのは、そういう供御に…

古代の村人には、和歌を詠えるだけの教養があったのですか?

「藤原宮の役民の作る歌」は宮廷歌人の仮託であると考えられていますが、奈良時代になると、例えば東国の農民のなかにも和歌を詠えるものが確実に出てきます。そのことは、『万葉集』に収録されている東歌、防人歌から明確に分かります。当時、兵部省からの…

和歌にみられる天皇の神聖の表現の変化は、先生独自の見解なのでしょうか?

藤原宮・京建設と天皇即神表現の成立を結びつけるのは私の説ですが、人麻呂の試行錯誤については、神野志隆光さんや遠山一郎さんの研究をもとにしています。参考文献リストに掲げた、お2人の著作を確認してみてください。

亀卜が日本へ入ってきたことによって、鹿を使った太占は行われなくなったのでしょうか。

王権のなかでは用いられなくなりましたが、地域社会においては実践され続けています。現在でも、青梅の御獄神社など、関東の数社に鹿卜の神事が残っています。弥生時代には、各地で鹿卜の痕跡が見つかっていますし、鳥取の青谷上寺地遺跡では、200余もの卜骨…

亀の甲羅の亀裂がすべて同じような形になるのなら、どのように吉凶を判断したのでしょうか。

実際には微妙な相違があります。殷代では、亀裂が入るときの音も重要な意味を持ったようですが、後代になると、亀甲への傷の付け方が変わり、より多様な亀裂とその読み取り方の定型化が進みました。『史記』亀策列伝には、亀裂の図こそ消えてしまったものの…

亀卜の実験では、亀はどうやって手に入れて、甲羅を剥がしたのでしょうか。

授業中も話しましたが、亀甲の入手について、ぼくは関与していなかったので分かりません。殷代では、マレーシア産の大陸亀を使用していた形跡があるものの、大部分は20センチ程度のクサガメやハナガメでした(すなわち、海亀を用いた日本とは違って、すべて…

神亀と玄武とは関係はありますか?

ともに亀が神聖視された結果である、という点では共通します。ただし、玄武が五行思想に取り込まれ北方の守護神に位置付けられた存在であるのに対し、神亀や霊亀は天意を伝えるためのメディアであり、もっと広汎な位置付けが可能なものですね。

「亀」について。日本では海亀などが周期的に産卵に来ていたり流れ着いたりするので、神聖視されてゆくのは分かるのですが、中国ではなぜそうなったのでしょうか。

そもそもの神聖化の理由としては、1)牛や羊の肩胛骨と比べて多くの平面を確保できるため、2)食亀の習俗との関係、3)亀の希少性・宝物性、4)亀の霊験性・呪術性(亀霊崇拝)などが指摘されていますが、現在最も注目を集めているのは4)です。近年、黄河下…