一国一国独自の歴史観がある。現在の日本史の枠組みを一国史から脱却させる、アジア史のなかで捉え直すとのことですが、そもそもこのアジア史や世界史という定義に疑問を持った。各国に独自の歴史観があるはずなのに、各国が一致するアジア史・世界史はないのでは?

国家の施す歴史教育の場合、国民国家の規定する「一国史」を脱却することは難しいでしょう。また、近代までの歴史学は、容易にナショナルなものへ包摂されてしまっていましたので、むしろ「一国史」を教化する機能を果たしていました。しかし、現代歴史学はナショナルな壁を乗り越えて議論する学問ですので、「それぞれの国の……」という立場を相対化するベクトルを持っています。日本人がアメリカ史を論じることもでき、フランス人が日本史を語ることもでき、実際にそのような研究が盛んに行われているのです。