奈良時代は留学僧を還俗させ官僚にする例がよくあったとのことですが、僧侶もそうしたことを自覚していたのでしょうか。修行のためという意識はなかったのですか。

前近代、とくに古代・中世において仏教は総合科学でしたので、その知識のなかには人文・社会・自然科学のあらゆる領域が詰まっていました。ヤマト王権が朝鮮や中国の先進文化を取り入れようとしたとき、仏教を介して摂取・受容するというのがひとつの方策だったんですね。しかし、実際に派遣する留学僧のなかには、当然、真摯に仏教修行に打ち込もうとした人も少なくなかったと思われます。国家としても仏教の受容と消化、仏教文化の発展は外交上も急務であったでしょうから、あらゆる僧侶を功利的な理由だけで留学させていたとは考えられません。