2009-10-28から1日間の記事一覧

次回に配布するプリントに掲載しておきますが、勉強したいという奇特な学生さんのために、今までの部分の参考文献リストを公開しておきます。

石田尚豊編 1997 『聖徳太子事典』柏書房石井公成 2007 「聖徳太子像の再検討―中国仏教と朝鮮仏教の視点から―」『仏教史学研究』50-1大山誠一 1999 『〈聖徳太子〉の誕生』」吉川弘文館 2003 「『日本書紀』の構想」大山誠一編『聖徳太子の真実』平凡社清水…

先生は、歴史上の人物のなかで最も尊敬しているのは誰ですか?

ぼくはミーハーなので、かつて憧れていたのは坂本龍馬でしたね。大学に合格したとき、京都の龍馬の墓へ報告に行ったこともあります。あとは、宮澤賢治が重要な存在ですね。

古代の書物は、どこに行って、どのようにすれば読むことができるのでしょう。普通の図書館にあるとは思えないのですが。

例えば『日本書紀』は、8世紀初めに書かれた原本は残っていません。その後、書写し書き継がれた複数系統の写本が存在しており、これは宮内庁書陵部や奈良国立博物館などの研究機関、北野天満宮や熱田神宮などの神社、天理大学や國學院大學などの大学が所蔵…

史料中に出て来た「白村江」の読み方ですが、ハクソンコウとハクスキノエと、どちらが正しいのですか?

ハクソンコウは音読み、ハクスキノエは『書紀』の古写本に書かれた訓読みですね。どちらかが正しく、どちらかが間違っているということではありません。

奈良時代は留学僧を還俗させ官僚にする例がよくあったとのことですが、僧侶もそうしたことを自覚していたのでしょうか。修行のためという意識はなかったのですか。

前近代、とくに古代・中世において仏教は総合科学でしたので、その知識のなかには人文・社会・自然科学のあらゆる領域が詰まっていました。ヤマト王権が朝鮮や中国の先進文化を取り入れようとしたとき、仏教を介して摂取・受容するというのがひとつの方策だ…

蘇我氏はなぜ『天皇記』『国記』を持っていて、しかもそれを焼いてしまったのでしょう。大王家と蘇我氏が密接に結びついていたのなら、なぜ中大兄や中臣鎌足たちは、蘇我氏を滅ぼすことができたのでしょう。

『天皇記』『国記』は現存しておりませんので実態は不明ですが、後の国史編纂に「帝紀」「旧辞」などが挙げられていることからすれば、前者は大王の系譜を整理したもの(存在したとすれば「大王記」でしょうか)、後者は王室と豪族たちの物語を収めたもの(…

なぜ聖徳太子は、神祇の最高位にいる推古天皇に、仏教を読み聞かせたのでしょう。

当時の東アジアにおいては、高度な思想・文化の代名詞であった仏教を輸入・理解し、展開させてゆくことが、国家を繁栄させてゆくひとつの方法でした。推古天皇自身がどの程度仏教を信仰していたかは微妙なところですが(仏教や僧侶の行動に疑念を抱いている…

竜宮城が出てくる昔話は日本各地に残っていると思うのですが、すると道教は日本人にとって身近な存在であったということですか。 / 後の八色の姓の「真人」も道教思想から来ているのですか?

道教は、中国王朝の歴史においては、常に民衆反乱を喚起するきっかけになっています。そのため、ヤマト王権は「体系的宗教としての道教」の輸入を拒みました。しかし、中国で深く浸透した道教の知識や、詩文などの文芸に反映した神仙思想は、否応なく列島に…

『書紀』編纂の順序についてですが、なぜα群の編纂の際に推古紀・舒明紀は飛ばされているのでしょう。不自然ではないでしょうか。

これについては学界でも議論のあるところです。森博達氏は、α群の編纂に携わった続守言・薩弘恪の経歴について詳細に調査し、雄略〜舒明紀を担当した続守言が、崇峻紀編纂の途中で何らかの理由(死亡、もしくは病気など)により作業を中断せざるをえなくなり…

昔の歴史書を編集する人たちは、どのような気持ちで編集していたのでしょうか。後世に史実を伝えようという意図は、少しはあったのでしょうか。 / 今、私が好きで観ている新羅の歴史ドラマには、権力掌握のために歴史を書き換えるシーンが出てきます。日本でもそのようなことが起こっていたのでしょうか。

東アジアの国家的歴史叙述の原型は中国王朝のそれですが、そこでは史官たちが、各王朝に官僚として奉仕しながら、「天」という君主への忠義とは別次元の秩序を奉じて記録と編集に携わっていました。権力から叙述の変更を要請され、拒み続けて自ら命を絶った…

先日、「歴史、特に古代なんかやったって必要ない。本当に必要なのはこれだ」と仰った教授がいてショックでした。先生ならどう反対意見を述べますか。

こういう人が大学で教鞭を執っているとは驚きです。あえて歴史学を擁護する必要性もないような、レベルの低い批判ですね。学問とは極めて奥が深いもので、どこまでいっても答えがみつからない、しかしそれを探し続けなければならない、ということがよくあり…