なぜ厩戸王は、聖徳太子という後世に作られた名で有名になったのでしょうか。

聖徳太子伝暦』によって確立される、太子伝の流布が大きな役割を果たしたと考えられます。これらは太子の各年齢の事跡を語る形で構成されており、後には絵伝も作られて広く世に説かれました。仏教諸派はみな太子を日本仏教の開祖として崇めましたが、とくに現在でも最大の信者数を誇る浄土真宗は太子崇敬が強く(親鸞が太子の夢告を受けて浄土教に目覚めたため)、寺院にも太子像を安置するところが多く存在、信仰の拡大を助けたものと考えられます。