レジュメ18ページ末尾の、「太子であれば王権は不動であり、権力低下には繋がらない」といった件がよく分かりませんでした。

「大王家の勢力低下がなければ蘇我本宗家打倒の歴史は描けない」わけですが、乙巳の変が起きる前の馬子の時代に偉大な王を設定してしまうと、馬子との権力関係や功績の評価をどう整理するか難しくなりますし、蝦夷の時代に蘇我本家を滅ぼさねばならないほど王権の力が失墜するのは不自然となってしまいます。舒明や皇極の無能を強調することは、その実施である中大兄=天智、天武の系統からすれば避けたいことであったはずです。その点厩戸王の存在は、王権から半独立的に語ることができますから、『書紀』における正当化作業の際には非常に便利であったと思われます。