2009-11-18から1日間の記事一覧

レジュメ18ページ末尾の、「太子であれば王権は不動であり、権力低下には繋がらない」といった件がよく分かりませんでした。

「大王家の勢力低下がなければ蘇我本宗家打倒の歴史は描けない」わけですが、乙巳の変が起きる前の馬子の時代に偉大な王を設定してしまうと、馬子との権力関係や功績の評価をどう整理するか難しくなりますし、蝦夷の時代に蘇我本家を滅ぼさねばならないほど…

「阿倍皇太子」という表記に違和感を持ちました。皇太子は皇子でなく、皇女であってもいいのでしょうか。

日本の天皇制は女帝の存在も許容していますので、ほとんど例はありませんが内親王も皇太子になりうるのです。ただし、阿倍内親王立太子の際には、宮廷にも同様の違和感が芽生えたのでしょう(橘奈良麻呂の乱も、藤原仲麻呂の専制以前に、そもそも阿倍立太子…

聖徳太子が日本人のアイデンティティーの拠り所となっていたのは、天皇が神であった時代だと思うのですが、いま現在の太子の位置づけはどうなのでしょう。

最近の聖徳太子論争の激化、それを取り上げるメディアのありようをみていると、やはり太子の持つ意味・機能は前近代と変わらないのだなと感じます。ちょうど、日本をとりまく国際情勢は不安定になってきていますし…。

聖徳太子について、古代や近代の神聖化については分かりましたが、その間の武士の時代にはどうだったのでしょう。

聖徳太子が著したという「未来記」が、中世の表舞台に時折登場してきます。「未来記」は予言書で、とうぜん太子が書いたわけではありませんが、彼が『書紀』のなかで「未然のことを知る」と叙述されていたことに仮託して作成されたのです。例えば、安貞元年…

聖徳太子の存在や信仰は、地方の末端の人間にはどのように伝わり、理解されたのでしょうか。

王権の側が盛んに宣伝したのは確かですが、最も大きな役割を果たしたのは僧侶でしょう。8世紀の早い段階から、官寺に所属する僧が求めに応じて地方豪族のもとに赴き、法会などを執り行っていることは諸史料に確認されます。国家に公認されていない私度僧の…

授業で扱ったトンプソン・インディアンの山羊との婚姻譚で、4種類の毛皮を試すというモチーフが出てきました。これにはどのような意味があるのでしょう?

詳しいことは分かりませんが、恐らくは祭祀や儀礼の次第を反映しているのでしょう。神話は祭儀の折に舞踏や演劇の形で再現されます。その細かな手順が語りのなかに残っていることは考えられます。また、物語の展開として、最も主要な課題を克服するために(…

動物の主のような神話は、誰がどのように作ったのでしょうか。

共同体のなかに生きている神話は、誰かが個人的・意図的に創造したものではなく、長い時間のなかで、その成員たちの持つ世界観・生業意識などを核に形成されていったものです。そこには、世界をどのように把握すべきかという知識や、自然のなかで生き抜いて…

人はいつから人間至上主義になったのでしょうか。

現在でも、100パーセント人間至上主義なのかというと、そうでもない部分もありますが、古代的情況と比べて画期になったのは世界史でいえば大航海時代、そして産業革命でしょう。日本史でいえば、中世後期の大開発が大きな影響を及ぼしたと思います。しかしこ…

歴史は常に更新されるとのことですが、例えば、「応仁の乱は1467年に起きた」ということも、後々「1470年だった」と変わることもありうるのでしょうか。

これは充分にありうることです。なぜなら、「応仁の乱」自体が過去の事実ではなく、事実に基づいて構成された歴史的概念に過ぎないからです。将来その概念が再検討され、「今まで重視されてこなかったこの事件をもって乱の始まりと考えるべきだ」とか、「乱…

先日、巻向遺跡で大型建物が見つかり、邪馬台国は畿内説が有力になったとのことですが、先生はどう思いますか。

こんなことを書くと怒られるかも知れませんが、正直にいいますと、ぼくは邪馬台国がどこにあろうと強い関心はないのです。その発掘に懸命になっている研究者の方には敬意を表しますが、派閥抗争のようにその所在地を奪い合い、それをメディアが必要以上に煽…

先生はなぜ動物に興味があるのですか。また、どんな動物が好きですか。

どうしてでしょうね。いま制作中の史学科ホームページの教員紹介の部分に、幼い頃の飼い犬の思い出を書きましたが、どうもぼくにとって動物の印象は、その死にまつわるほろ苦いものが強いようです。今でも一番強烈に記憶に残っているのは、小学生の頃に雛か…