熊野詣は、古い時代の他界への信仰に基づいているのでしょうか。
その可能性は高いと思います。熊野三社は平安期、神仏習合の本地垂迹説のなかで、熊野本宮の家都御子神=阿弥陀如来、熊野速玉大社の熊野速玉男神=薬師如来、熊野那智大社の熊野牟須美神=千手観音という対応関係が作られます。すなわち来世を願う極楽浄土信仰、現世での救済を願う薬師信仰、現世往生と応変の救済をもたらす観音信仰が一体化しているわけで、その利益・効験を求めて多くの参詣者が訪れるようになったわけです。本宮神が阿弥陀に重ね合わされてゆくことにはいろいろな要因が考えられますが、やはり熊野の地が前代より他界と認識されていたことと無関係ではないでしょう。那智の南方では、現身のままでの往生を目指す補陀落渡海が繰り返されますが、紀伊国が根国への入り口であるという認識は、畿内の人々の意識の深いところに根強く働いていたものと考えられます。