直前の3時限に受講した保坂先生の「西洋史特講」で、西洋古代史を専攻している日本の学者には、文献学・古典学的な視点が稀であり、社会史や経済史、政治史に研究が偏ってしまっているという話がありました。日本史でも同様なのでしょうか? ただ史料の真偽判定をするだけでなく、その編纂意図にまで踏み込んで、偽書のような史料も積極的に用いようとすると、相当慎重にやらないとトンデモ歴史学になりそうです。日本古代史で文献学的視点に立った良い参考書はありますか?

日本古代史では、むしろ文献学的視点が主流であり、基礎であるといっていいでしょう。それは古代史に限らず、日本史分野全般においていえることかも知れません。それは、江戸時代の極めて精緻な漢学、文献考証学の視点を受け継いでいるからです。近年の『日本書紀』批判などはその典型で、私もその流れの研究者のひとりですが、この書物の背景にいかなる漢籍、仏典や道教経典があるのか熟知していないと(あるいは探究する姿勢がないと)大きく誤った読み方をしてしまいます。「偽書のような史料を…」とありますが、これは偽書、これはそうでない、という見方自体が、実は「単一的歴史観」のすり込みに過ぎません。過去のなかで生み出されてきた書物の何が「偽書」なのか。それは、ある一定の歴史の見方のなかで現世・後世の人を騙そうとするからで、その枠組みを外して考えれば立派な一級史料ということになります。『日本書紀』も古代を研究するうえでの基礎的な文献ですが、6世紀以前の政治史的事実のみを追究しようとすれば、偽書と位置付けざるをえなくなってしまいます。しかし、そうした真偽判断によって得られる成果よりも、脱落してしまう豊かさの方が大きいことは、古代史研究者なら誰しも知っていることです。なお、文献学的視点の参考書とのことですが、極めて精緻な領域ですので、一般向けとなるとなかなかお薦めできる本がありません。とりあえず、森博達『日本書紀の謎を解く』(中公新書、1999年)を挙げておきます。『日本書紀』の文献学的研究の水準を示した本で、サントリー学芸賞も受賞しました。