大本教の教祖母子の関係は、邪馬台国の卑弥呼と弟王との関係に似ていると思うのですが。また、これらの新興宗教は現在のスピリチュアル・ブーム(『オーラの泉』など)とは何が違うのでしょう。
女性が神霊を憑依させて託宣を下すシャーマンとなり、男性がその神語りを通訳する「審神者」の役割を果たすというのが、アジアのみならず汎世界的に存在する宗教者の一形態です。大本教や天理教の場合も同じ形式を採っていますし、近世以前の民衆宗教の形態とも連続性が高いものと思われます。それらと、科学的な知識に裏打ちされた近代スピリチュアリズムが交錯する大正、昭和初期の思想・宗教的情況は、非常に興味深いものですね。現在のスピリチュアル・ブームについては、ちゃんと勉強していないのであまり正確なことはいえませんが、前代との繋がりや底の知れない深さなどは窺えないようです。『オーラの泉』にしても、祖先や死んだ肉親、守護霊などを媒介に語られているのは、極めて一般的な道徳、倫理に過ぎません。宗教とはもっと恐ろしいものだ、というのがぼくの認識です。