武田信玄の「風林火山」も『孫子』の影響ですよね。

日本の兵書受容は『孫子』が中心、というのが一般的理解ですが、実はどうもそうではないようです。古代から江戸期までの兵書写本・刊本を調査すると、圧倒的に多いのは太公望に仮託された『六韜』、その系統に属する『三略』で、『孫子』が重視されてくるのは江戸後期以降だということが分かります。最近の平田昌司さんの考え方によると、信玄の「風林火山」は兵書も多く読んだ臨済宗の僧侶との交流から生まれたもので、信玄自身が『孫子』に心酔し選び取ったものではなかろうということです(『孫子―解答のない兵法―』岩波書店、2009年)。