あたかも兵書を読みさえすれば仙術の力が手に入れられる、といった考えが歴史が下るほど強くなるように思います。修行などの描写が減ってゆくことには、やはり宗教が深く関わっているのでしょうか。

とくに太公望に仮託された『六韜』、その系統の『三略』に関しては、太公望張良自身が神仙に擬されることの多いこともあって、次第にマジカル・アイテムのような位置づけになってゆきます。すなわち、もはや内容を読まなくとも持っているだけで特殊な力が身につくという…。その極致的表現ともいうべき『義経記』には、『六韜』を伝承した代々の英雄たちの「超人的活躍」が描かれますが、その源はすべて『六韜』に帰されることになるのです。