太初暦について。律管の容積で作られた81という分母は、実際には不正確な数値だったのではないでしょうか。西洋では早くから天空を重視し観測していたはずですが、東洋はより身近なものへ関心を向けたということでしょうか。

現在の1ヶ月は29.53059日ですが、太初暦は29.53086日、その前に使用していた四分暦では29.53085日でした。四分暦の方がやや現在値に近いので太初暦の方が誤差は大きくなりますが、もちろん運用に支障をきたすほど不正確であったというわけではありません(もちろん、長く運用していればしているほど、天体の運行と実際の暦とはずれてゆくことになります)。当時これを受容した人々からすれば、数値の精確さよりも、その宇宙観的壮大さ、一貫性の方が重要だったのでしょう。ちなみに、中国でも天文学は早くから進んでいました。日月星辰の位置を占いに用いる羅盤の原型は、すでに旧石器時代の遺跡からみつかっています。殷王朝の王族集団は太陽の運行に基づいて分類されていますし(これが十干となる)、天空の星の位置を地上の諸地域と対応させその意味を考える思想は、春秋〜戦国期には発達していました。必ずしも、天空への意識が欠如していたわけではありません。