2010-06-28 草木発心修行成仏論とは、草木が人間と同じ地位にあるということになるのでしょうか。 日本史概説 I(10春) そうですね。華厳宗や天台宗では、主体である自分自身と客体である環境世界は相即不二の関係にあると考えるため、一方が悟りを開いて成仏すればもう一方も仏になる、一方の仏教の理法が作用しているなら、もう一方にも同じように仏が遍満しているということになります。すなわち、草木/人間には理論的には区別が存在しないわけです。しかし、中国までの仏教は人間は主体であるが草木は環境世界であるという区別に拘っており、日本天台はその点を批判、人間と同じように発心・修行・成仏する草木のありようを考えてゆくのです。