この『信貴山縁起絵巻』は、詞書のラストしかり、信貴山の権威付け、参拝客の呼び集めに目的があったように思うのですが、当時どれほどの範囲で読まれたのでしょうか。

作者や制作環境についても、東大寺信貴山自体の寺院説、後白河のサロンとする貴族社会説などが並立していますので、明確には分かっていません。ただし、一般庶民に至るまでがまじまじと見つめられるような作品ではなかったことは確かでしょう。しかし、「まだあんなり」の言葉がある説話自体は、『宇治拾遺物語』や『古本説話集』によって伝播し、信貴山の宗教的権威を高めたものと思われます。両者にはさらに原話が存在した可能性が高いですし、信貴山自体も命蓮の霊験譚を喧伝していたと考えられますので、『絵巻』自体の読者層は限定されても、そのストーリーは広く知られていたものでしょう。