貴族に呼ばれて馳せ参じる験者たちは、庶民の間でも同じように駆り移しや悪霊祓いを行っていたのでしょうか。それとも、形態の違う呪いが一般的だったのでしょうか。

奈良時代以降、民間に多くのシャーマンがあり、また下級の僧侶たちが活躍していたことは、それらを禁止する法令や説話集などにみることができます。駆り移しの厳密な手法が用いられていたかどうかはともかく、憑坐と審神者のユニットは通時代的・世界的な広がりを持っていますので、概ね民間にも存在したと考えていいでしょう。古くは『魏書』東夷伝倭人条に描かれる卑弥呼と男弟の関係、神功皇后と中臣烏賊津臣の関係などはそれに当たりますし、北野天神の創建や志多羅神事件においても、民間のシャーマンによる託宣が大きな意味を持ったことが伺われます。