仏教は、無常観を会得することで、死への恐怖を断ち切りたいのでしょうか。

仏教は、六道のなかで生きること自体を「苦」と捉え、その根源に様々な煩悩の作用を見出します。現世の人、物、その他形のない種々の想念に執着するのもそれゆえで、いつかは失われてしまうそれらを引き留めておきたい、しかしそれが叶わないところに苦しみが生じるわけです。無常観は、我々が「ある」と信じて疑わないその対象の存在自体を相対化し、執着を消し去るもの。死への恐怖(すなわち自己への執着)はそのひとつにすぎません。