骨卜の材料が鹿から家畜へ移ったとのことですが、家畜も神聖視されたのでしょうか。それとも、安定して入手できたからでしょうか。

これは難しいところですが、狩猟採集社会から牧畜社会へ向けての、大きな心性の転換があったのかも分かりません。狩猟社会の鹿、牧畜社会の羊・牛・豕というと、ともに生業の中心を占めるものという共通点があります。すなわち、自分たちの生命を繋いでくれるものという意味で、(どのような表象を持ったかは不明ですが)その神霊に一族や共同体の未来を聞くという位置付けは理解できるように思います。しかし家畜の犠牲化が一般化すると、例えば「自然を統べる神格に祭祀を捧げるには、供物は人間のものから出さねばならない(すなわち狩猟して得た動物ではだめ)」といった区別が生じてきます。殷代は、そのあたりのボーダーラインにあった時代かも分かりません。