2011-04-29から1日間の記事一覧
日本の卜甲は、対馬・壱岐、関東南部で出土しています。関東のものについては、三浦市間口洞窟遺跡、横須賀市銊切遺跡などの出土例がありますが、いずれも神奈川県立歴史博物館の常設展示でみることができるはずです。
青梅市の武蔵御岳神社ですね。毎年1月3日に行われる太占祭がそれです。ほかに、あきるの市の阿伎留神社、群馬県富岡市の貫前神社などでも鹿卜の風習があります。鹿卜自体は、弥生期の日本列島に広く分布し、鳥取県の青谷上寺地遺跡では、一箇所から200もの…
浦島太郎伝説については、「丹後国風土記」逸文の浦嶋子伝が原型で、大宝律令の編纂者でもあった伊余部馬飼が丹後守時代に筆録したものです。馬飼は『懐風藻』にも漢詩が採録されており、持統朝の撰善言司にも任命された当代一流の学者でした。奈良朝の文人…
必ずしも身近であったわけではありませんが、古墳時代に亀卜が開始され、以降律令体制下でもその役割を担ってゆくのは、壱岐・対馬・伊豆という海に面した国々です。その他、亀卜のために亀甲を供給する地域として、紀伊・阿波・土佐が定められていますが、…
殷代の中原勢力は、南方に対しては、せいぜい蜀の辺りまでしか力を及ぼしていませんでした。マレーシア産の大亀の具体的な調達方法は不明ですが、殷の影響下にあった南方の民族、あるいは王族などが調達して貢納したものでしょう。博物学的な興味は王権の世…
私も充分にデータを把握しているわけではないので漏れがあるかも知れませんが、上記の動物以外はほとんど発掘されていないだろうと思います。卜骨としては、草食動物の有蹄類という括りがあるようなので、せいぜい羊・山羊、猪・豕といった差異がある程度で…
これは難しいところですが、狩猟採集社会から牧畜社会へ向けての、大きな心性の転換があったのかも分かりません。狩猟社会の鹿、牧畜社会の羊・牛・豕というと、ともに生業の中心を占めるものという共通点があります。すなわち、自分たちの生命を繋いでくれ…
確かに、日本でも鹿は代表的な狩猟対象であり、家畜化はされていませんね。ただし、東大寺境内の鹿などはほとんど家畜といってもよいような状態なので、生態的特性により家畜化できなかったというわけではないと思います。やはり自然を象徴するような位置づ…
殷代の熱卜については、王の判断した内容が正しいように結果を改竄したり、望ましい結果が得られるまで何度も灼骨を行う、といった人為的操作が確認されています。しかし、だからといって「まがいもの」なのではなく、卜占自体が、数ある未来の選択肢のなか…
時代や地域により多少の文字の変遷、異体字等々はありますが、ある程度共通の文字形、使用の仕方を認めることができます。ただし解読のためには、甲骨はもちろん金石文の類も総覧し、場合によっては周代の事例への変遷も考慮して、一字一字の意味を取ってゆ…
火を使わないというだけで、冷卜の起源も供犠にあると考えてよいのではないかと思います。とにかく、動物遺体を何らかの祭祀に用いる→神霊の享受の様態を残った遺体の情況から確認する→骨卜、というのが一般的パターンとして設定しうるのではないでしょうか。
現在出土している考古遺物ではそこまで確認はできませんが、恐らく統一はそれていなかったでしょう。個々のシャーマンの「能力」に頼ることが多かったのではないでしょうか。ただし、地域や部族で一定の決まり事が伝承されていた可能性はあります。それが門…