卜官=史官が王の命令もなしに卜占をすることは許されなかったのでしょうか。なぜあえて関係のない卜占に際して、記録を付随させなければならなかったのでしょうか。
貞人たちが王を頂点とする卜府に所属し、亀甲や牛骨などの素材・道具類が同倉庫へ管理されるのだとすれば、それを卜官=史官が自由に用いるということは、なかなかに困難であったと思われます。確かに個人の邸宅などで灼甲・刻字することが可能だったかも知れませんが、亀卜と文字の技術が厳しく独占されていた段階にあっては、あまり自由は利かず、また貞人たちにも、その必要性が充分自覚されていなかったのではないかと思います。