2011-05-13から1日間の記事一覧

中国の仏教にも、呪法や占術などがけっこう含まれています。宗教と卜占とは一体どんな関係があるのでしょう。

日本で発掘された甲骨にも文字が刻まれているのでしょうか?

いずれお話ししますが、日本の甲骨には刻まれていません。弥生時代には多くの卜骨、古墳時代には卜甲、以降も近世まで亀卜が主流となって卜占が続けられてきましたが、文字を刻むということはありませんでした。実は周代以降、竹簡・布帛の普及や紙の発明に…

殷の脅威は戦車にあったとのことですが、なぜ殷のみが戦車の技術を有していたのでしょう。

戦車の技術を持つ部族や国家は他にも存在したかも知れませんが、牧畜を発展させ強大な政治力・経済力を持った殷が、次第に独占を図っていったものと思います。戦車の知識・技術を持つ部族へ圧力をかけ、場合によっては武力をもって破壊する。良馬の産出・育…

史料9・10・11で、卜占の結果「災禍がある」と出たにもかかわらず、それを回避する努力はしなかったのでしょうか。

これはけっこう根本的な問題ですね。祟ありとの占断に対して祭祀を要請する卜辞もありますので、史料9・10・11でも、何らかの形で回避が図られた可能性はあります。その際は、回避行動が正しく行われたので軽く済んだ、といった認識へ落着してゆくのだと考…

「祟」が毛深い豕のような獣を指す字だと知って驚きました。『もののけ姫』の祟り神もちょうどそのような形だったと思います。何か由来やモデルはあるのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、日本の古代では『書紀』や『古事記』に、荒ぶる神の表象として猪が登場します。『もののけ姫』のナゴの神、乙事主などは、それらに取材したものでしょう。『説文解字』は、タタリを示す字の一形態について「河内の名豕」と説明し…

卜官=史官が王の命令もなしに卜占をすることは許されなかったのでしょうか。なぜあえて関係のない卜占に際して、記録を付随させなければならなかったのでしょうか。

貞人たちが王を頂点とする卜府に所属し、亀甲や牛骨などの素材・道具類が同倉庫へ管理されるのだとすれば、それを卜官=史官が自由に用いるということは、なかなかに困難であったと思われます。確かに個人の邸宅などで灼甲・刻字することが可能だったかも知…

「世襲卜占集団」とありましたが、卜占に関わる人々はどのような存在だったのでしょうか。 / 上吉を多く出す貞人が厚遇された、といった事例はあったのでしょうか。

なぜ臨時の軍事、祭祀などに関する卜占は行われなくなったのでしょう。王の日常を記録するような卜占はなぜ減ってしまったのですか。

多数決で決める際の「最も良い結果」が三人の間で食い違った場合、いちばん身分の高い人物に従ったのでしょうか。

卜占を行うことで「よりよい未来を掴もうとした」とはいえ、最もよい結果だけを取るというのは、あくまで希望でしかないのではないでしょうか。

よりよい未来を掴み取ろうとする人々の思いは、今も昔も変わらない普遍的なものだと思いました。でも、占いの結果に反することが起きたとき、人々はどのように捉えたのでしょうか?

卜占によって王の宗教的権威を高めることは、卜占の後天的機能といってよいのでしょうか。もともとの機能とするなら、ネガティヴな占いの結果を示す意味が分かりません。