日本の大王は、天皇として政治体制や宮城を中国式に変更してゆくにあたり、明治天皇のように祭祀王から軍事的大王へ変質するということはなかったのでしょうか。

古代日本の大王・天皇についても、斉明天皇の東北経略・半島出兵や、天武天皇壬申の乱など、節目節目に強大な軍事力が動員されることは認められます。しかしそれが長期間恒常的に行われ、王権自体の軍事的色彩が濃厚になることはなかったようです。ひとつには、上記でも述べているように仮想敵国である朝鮮半島との間に海が存在したこと、もうひとつには、東北の一部を除き列島内に敵対的政治勢力がなかったことが原因でしょう。そのため、中国では城壁に覆われていた都城も、日本の宮都ではほとんど存在しませんでした。列島の統一においても、強大な軍事力を背景にするというより、政治や文化、宗教的権威の機能した点が大きかったように思われます。