厩戸の出生の話もそうですが、仏教でいう閻魔王の裁判と、キリスト教の最後の審判なども似ています。両者はどのように形成されたのでしょうか。

ともに、現実の裁判を反映したものでしょう。閻魔王は、本来はインドの地獄の神ヤマ天で、仏教が中国化する際、官僚制化した中国の冥界と習合したものです。地獄の裁判官は閻魔王も含めて10人おり、彼らによる「十王裁判」で亡者の処罰が決定されます。キリスト教最後の審判は、世界の終末に行われる神の裁きで、神の国に入る者と地獄に堕ちる者が分けられることをいいます。前者はひとりひとりの死後を決めるもの、後者は世界の更新を行うものですから、似ているようで実はずいぶん異なる、ということになりますね。