「聖徳太子」という名称は平安時代に一般化するとのことでしたが、その経緯について教えてください。

前回講義でお話ししたように、「聖徳太子」という名称の初出は、8世紀半ばに成立した『懐風藻』の序文です。「聖徳王」の名は、それより少し前の史料(大宝令の注釈書である「古記」、天平10年(738)頃成立)にもあり、『日本書紀』の記述を通して「皇太子」説が一般化した頃、徐々に使用され始めたと考えられます。しかし、その呼称を本当の意味で定着させたのは、10世紀末に成立したと推定される聖徳太子伝の決定版、『聖徳太子伝暦』です。同書は、太子の両親である用明天皇と間人皇后の結婚から、大化元年における蘇我本宗家の滅亡までを、編年体で記述しています。内容は『書紀』を含む先行太子伝を網羅しており、同書に基づいた『聖徳太子絵伝』の普及と相俟って、太子信仰と伝説パターンの基礎を形成しました。