「環境の豊かさへの甘え」とは、「環境が豊かであるという言説」への甘えでしょうか。

うーん、これも深いですね。「自然環境が豊かである」という言説も近代のものでしょうから、上のように表現してしまうと、これも近代的構成になってしまうのでしょうね。より前近代の心性に即していえば、「神仏への甘え」ということになるでしょう。すなわち、自然環境=神仏としてきた言説構成への甘えですから、やはり天台本覚論的な問題になりますね。