大河ドラマなどで、山の木に隠れて相手を攻めたりする映像をみたことがありますが、同じ山でも、戦略的に利用しうるものとそうでないものとが区別されていたのでしょうか。

主に大河ドラマで舞台となるような戦国時代には、中心集落の周辺には草山・芝山が広がっていたものの、まだまだ雑木の森や第一次植生の森林を擁する山々も多かったと思われます。しかし、兵農分離と社会的安定が進んだ江戸前期には、授業でお話ししたような光景が展開することとなったわけです。これは憶測ですが、山々が農業のために切り開かれていった背景には、森林の戦略的意味が消失していったことと関わりがあるのかも知れません。