鹿島さんの〈物語り論的歴史理解〉は、方法を誤ると修正主義的になってしまうのではないでしょうか。 / 鹿島さんの意見は、自分のなかで考え方のモデルとなるパターンを増やすことに、歴史を学ぶ意義があると理解してよろしいでしょうか。

私の説明の仕方が悪かったですね。まず、人間は社会のうちで先人の物語を授受し、それを範型として生きているというのは、人間社会のなかで物語/物語りが果たしている役割です。しかし、その〈先人の物語り〉を提供する歴史的知識は、多く権力によって歪められたり隠蔽されたりしており、結果として範型たる選択肢を狭め、現在の人間が多様に生きられるはずの可能性を阻害してしまっている。ゆえに歴史学は、その支配的物語りを相対化しながら、隠蔽されたり疎外されたりしている物語りを救済して現前させることで、人間の生の豊かさの実現に貢献することができるというわけです。