卑弥呼が狗奴国と争ったとき、魏に軍の派遣を要請したものの受け入れられなかったと聞きましたが、なぜですか。 / 狗奴国の背後に呉がいたのではないか、という見解についてはどう思われますか。

「狗奴国の背後に呉がいた」ことは、可能性としては高いのではないかと思います。少なくとも、魏はそのように考えていたようです。「卑弥呼が魏の援軍を求めたが受け入れられなかった」というのは、史料的には正確ではなく、倭人伝による限り、「卑弥呼が狗奴国との戦闘を報告したところ、帯方郡太守の王頎は塞曹掾使張政を邪馬台国へ派遣し、詔書・黄幢を難升米に拝仮し、檄文を作って告諭した」が正しい解釈です。渡邉義浩氏によると、この「黄幢」は魏のシンボルカラーを配した軍事権の象徴で、邪馬台国を魏が後援していることを示すものです。これを卑弥呼に送ったということは、邪馬台国/狗奴国の戦闘が、単なる列島内の局地戦ではなかった、魏がそう考えてはいなかったことを指すのだと考えられます。