母を亡くしたとき、多くの人は〈寄り添う死者〉論を語りました。しかし、ぼくはそれが不快でした。ありもしないものをあるといわれ、それへの信仰を強制される。〈寄り添う死者〉はどこまで癒しなのでしょうか。

確かに、その言説を受容するひとからみれば、癒しになる場合も暴力になる場合もあるでしょう。主体の心理状態、感受性、語り手との関係など、さまざまな要因のなかで決まってくるのだと思います。それぞれがそれぞれの考え方のなかで、〈喪の仕事〉を果たし、やがてメランコリーの情況を克服してゆく。しかし、死者に対する態度に柔軟性のない社会では、その過程でさまざまの抑圧的状態が生じます。例えば〈寄り添う死者〉論が一般化し、「そう考えるのが当たり前」という環境下では、「ぼくの傍らには死者などいない」といいはなつと、「肉親が死んだというのに冷徹だ」といったいわれのない非難を浴びることになる。死者に対する態度においても、やはり多元性を容認する社会・環境が、もっとも〈癒し〉に繋がるのだといえそうです。