地名や役職を表す複姓に興味を持ちました。このような慣習はいつまで続いたのでしょう。例えば、藤原氏でこのようなことはあったのでしょうか?

奈良時代にはなくなってしまうようです。それぞれの氏族は家の単位に分断され、「○○家」「○○流」などと名告るようになり、やがて本来のウヂ名よりも家名、流派名の方で呼ばれるようになってゆきます。藤原氏が南家・北家・式家・京家に分かれ、北家本流が摂関家となり、さらに近衛・九条・一条・二条・鷹司の五摂家に分かれてゆくのも同じことです。ただし、これらの家名も地名や官職名に基づいているので、構造上は複姓と変わらないものといえるかもしれません。ちなみに北條氏は本来は平氏で、なかでも平将門を追討した貞盛流に属するものです。