大伴氏は、大伴親王が立太子したことでその名を避け、改名したと聞いたことがあります。この頃には、漢字表記は一定化していたのでしょうか。

そうですね。漢字文化は、文書行政を基本とする律令体制の運用に伴って、奈良時代に飛躍的に浸透してゆきます。元号や地名の選定を通じて「良字」を選ぶ意識も高まってゆきますし、まさに、氏族の改賜姓にも良字が用いられるようになってゆきます。忌部氏が「忌」字を嫌い、「齋」部を名告るようになることなど、典型的ですね。中国の避諱の習俗も奈良期を通じて理解されてゆきますが、漢字の使用と用字の一定化が浸透していなければ、理解すらしがたい習俗ですよね。