飛鳥では、斎槻を中心にもともとあった自然信仰のようなものに、後から仏教が入ってきて、併せて聖なる地となったのでしょうか。もともとの神と、仏教の仏とは対立することはなかったのでしょうか。

史料が断片的で推測が難しいのですが、講義でお話ししたとおり、もともとは斎槻を核とする飛鳥の宗教的スポット(それなりに規模の大きなもの)であったと考えられます。飛鳥の斎槻の話は、その後、平安末期の『今昔物語集』にも出てきますので、古代を通じて語られた著名な聖地だったのでしょう。『書紀』には仏教公伝の際、神祇信仰を奉じる物部氏・中臣氏と、仏教崇拝を推進しようとする蘇我氏との間で対立・抗争が生じたという、崇仏論争のエピソードが詳述されています。しかしこの一連のくだりも、近年の歴史研究の進展によって、幾つかの漢籍・仏典から切り貼りされて述作されたことが分かってきました。日本列島では、外来の信仰に対して拒否反応を起こしたという歴史的事実があまりなく、古墳時代にはすでに中国の神仙思想が導入され、仏教も断片的に伝来、ご承知のとおり戦国時代にはキリスト教を受け容れています。実際の仏教の定着過程については個別に論じる必要がありますが、恐らく、大きな混乱はなく浸透していったものと思います。それは、インドから西域、中国、朝鮮半島を経由してきた仏教のなかに、在地の宗教的要素を取り込み一体化する仕組みが存在していたことも一因でしょう。