私の知人には狩猟する人々がいますが、生き物を殺すことに罪悪感を感じてはいないようでした。これは単に昔の慣習を忘れてしまったのか、それとも農耕民族であるがゆえの考え方なのでしょうか。

以前とあるシンポジウムで、知人の研究者と、人は殺生に対して後ろめたさを覚えるのか、それとも快楽を覚えるのか、という激論を交わしたことがあります。現実には、このような二者択一の問題設定はありえず、快楽も覚えるが後ろめたさも感じる、とした方が正解に近いでしょう。狩猟に慣れて、そのゲーム性、生命のやりとりをする緊張感だけを楽しむようになった人は、やはり「人間」としてどこかの感覚が麻痺してしまっているように思います。そうした自分を恐怖するような情動が存在してこそ、動物の主神話のような物語が生まれてくるのでしょう。先週「虫送り」の話をしたように、農耕民族であるから生命の殺害に後ろめたさを感じない、ということはありません。個人差も大きいでしょう。