「狼を未開の象徴として貶めるのは宿命だった」とは、どういうことでしょうか? / キリスト教が狼を貶めたのは、多神教の偶像を破壊する意味もあったのでしょうか? / 狼を悪魔とみなした聖書世界とは、旧約時代でしょうか、それより後の時代でしょうか?

授業でもお話ししたように、キリスト教の言説は牧畜文化を核に成り立っています。牧畜にとって狼は敵であり、ゆえに悪魔と重ね合わされてゆくのでしょう。ちなみに、人類学者の谷泰氏らの見解では、人類史のうちで牧畜が開始されたのは西アジアであり、家畜の性を管理し群れとして統御するシステムは、そのまま人間へも適用され王権の支配機構の軸をなすと指摘されています。そうした意味でも、狼は支配権の正当化のため、あえて排除される存在に位置づけられていったと考えられます。ユダヤ教においては、すでに『エレミヤ書』『エゼキエル書』などに、狼による襲撃を神の懲罰として表れています。新約聖書段階においては、『マタイによる福音書』『ルカによる福音書』『ヨハネによる福音書』などに、狼を羊と対照させ、異教徒や偽預言者などの譬喩として出てきます。キリスト教は、やがてガリアやゲルマニアへの布教を開始しますが、初期ギリシア教父らの言説を確認してゆくと、古ヨーロッパの信仰であるドルイド教などを解体する様子がみてとれます。上の指摘のとおり、牧畜との対立項だけでなく、狼が異教の神として排撃されることもあったと考えられます。