縄文土器の形式の変化についてですが、変化のあり方には、例えば後期の稲作開始など、食生活の変化の影響が表れているのでしょうか。

もちろん、食生活の変化は表れます。例えば、縄文早期の群馬県では土器が大型化し、住居外部に作られた炉穴と呼ばれる竈的な調理施設で使用されました。同時期には気候も温暖化し、周辺に多くの狩猟用落とし穴がみつかっていることから、豊かな食生活の表れであると指摘されています。住居内部の竈で調理される場合、その食物は基本的に住居に住む家族のものでしょうが、外部の場合は幾つかの家族に共有されている場合もあります。また、縄文土器はほとんど深鉢で、これはいうまでもなく煮沸用もしくは保管用の土器ですが、中期頃から現在のボールのような浅鉢が登場します。これは、食材を混ぜたりこねたりするために用いられたと考えられており、やはり食生活の多様化と土器の形式に相関関係のあることが推測されます。