各地の貝塚から鯨の骨がみつかっており、また北九州では土器の底に鯨の脊椎の跡が残っているもの(土器作りの作業台として利用した)が発見されているため、縄文の人々が鯨を捕獲し食用としていたことは明らかです。しかし、イルカなどについては、丸木舟や銛を使って内湾に追い込み、捕獲するという方法の採られていたことは確実ですが、大型の鯨についてはそうした漁法を実践しえたかどうか確証は得られていません。現時点での定説的見解としては、海浜部に漂着したり、あるいは内湾に迷い込んできた「寄り鯨」を捕獲したのだろうと推測されています。