弥生時代に階級文化が進むことは分かるが、それではなぜ縄文の社会が平等であったといえるのだろうか。 / なぜ縄文時代には「王」が出現しなかったのですか。

結局講義中にも説明してしまいましたが、考古学的な発掘で身分の上下や強力な首長の出現の指標となるのは、住居や墓の規模・様態です。一部の住居や墓の規模が、他と突出して巨大になれば、それは権力を持ったリーダーの出現を意味することになります。弥生時代古墳時代にはそうした傾向がみられるようになりますが、縄文時代にはどちらの場合も見出すことができず、平等な社会が維持されていたと考えられているのです。縄文社会といえど、狩猟の際に主導権を発揮したり、村落を統率したりするリーダー的存在はあったと思われますが、狩猟採集という自然環境に多くを依存し、余剰生産物が生じにくい社会においては、集落の構成員へ収穫が平等に行き渡らないと生存が維持できません(大規模な集落が出現しても、一定の人口に達すると分解せざるをえなくなる類のものです)。一部への権力集中の前提条件となる集落内での競争や紛争は、集落全体のバランスを崩し、そのまま存続の危機に繋がる可能性があります。すなわち縄文時代においては、生存のために王の出現が抑制された、そうした選択肢が採られなかった社会といえるでしょう。