集落では、何世代か定住すると近親婚になってしまうと思いますが、それは忌避されなかったのでしょうか。

もちろん、婚姻は集落内で済ませる形式にはなっていなかったでしょう。講義のなかで縄文文化の村と弥生文化の村との婚姻について指摘したとおり、ある程度の地域的まとまりのなかで、幾つかの集団による通婚圏が構築されていたと考えられます。部族社会においては、近親婚のタブーが存在することが多いのですが、それは悪性異伝が起こりやすいというより、複数の団体で女性を交換するために開始されたようです。狩猟採集時代の人類は15人程度の小集団で生活し、食料経済的にもそれが最も効率的な規模だったと考えられていますが、そうした集団内で婚姻を繰り返しますと縮小再生産にしかならず、いずれ集団は滅びてしまう。そこで女性を他のグループから獲得する必要が生じるわけですが、そのためには自分たちからも女性を供出する義務が生じてくる。そこで、集団内での結婚が禁止されたというわけです。父系社会においては女性の交換、母系社会においては男性の交換、双系社会においては男女どちらの交換もありうる状態であったと思われます。