弥生時代の首長の墓の拡大が、かなり早い時期から行われていたことに驚きました。祭祀を重要視する時代にも、首長や首長の家族の墓が巨大化するのはどうした理由からでしょうか。

弥生時代の首長墓の拡大はあくまで過渡期的なものであって、青銅器祭祀が放棄され古墳祭祀に転換する過程を意味します。昨日まで共同体の青銅器祭祀を中心になり立っていたものが、今日突然青銅器を捨てて古墳を造営し、古墳祭祀に変更するなどといった現象はありえず、古墳祭祀が中心になるならば、必ず青銅器祭祀と重なる時期に首長への権力集中が計られてゆくはずです。出雲地域で大量の青銅器埋納がみられるのは、例えば贈与によって権威を喧伝する主体が、すでに共同体から首長へ移行していたためかもしれません。共同体=合議が集合的に保持してきた機能が特定個人、特定親族へ次第に移行してゆき、青銅器の祭祀もそのコントロール下に入り、最終的には古墳祭祀にその役割を譲り放棄されるに至るのでしょう。