2014-05-26から1日間の記事一覧

『日本書紀』は韓国の『三国史記』とかなり異なる部分があると聞きましたが、例えばどのような点でしょうか。

『日本書紀』は8世紀の段階でヤマト王権の立場から、『三国史記』は12世紀の段階で高麗の立場から書かれていますので、朝鮮諸国とヤマト王権との関係(使節の位置づけなど)を中心に異なる記述は多く出てきます。時代的には『日本書紀』の方が古く史料的価…

中世の武将が神社に刀剣を奉納するのも、武器が宗教的性格を持ちやすいということと関連するのでしょうか。

神社への刀剣の奉納は、主に神の持物として献上されるものですが、起源的には弥生の青銅器祭祀と同様の意味がないとはいいきれません。神の辟邪の能力を象徴している、とみるべきでしょうか。

自然の精霊に対する信仰から、祖先信仰へ移ってゆく過程が気になります。人間が社会的存在になってゆくにつれて、このような変化がどこでもみられるのでしょうか?

あらゆる宗教が共通の発展段階を単線的に辿るとはいいきれませんが、概ね文化の方向はヒト中心主義へと向かってゆきますので、その過程で、自然から人的存在へ崇拝対象が変化することは往々にしてみられます。そこには、例えばアニミズムにおいても動植物の…

「漢委奴国王」の金印が偽物だとの説は、何を根拠にしているのでしょうか。また、江戸時代に贋作が作られたとして、何のために作られたのでしょうか。金印の成分などから、正確な時代を知ることはできないのでしょうか?

当時、漢が発給していた各種の金印と比較して、形状や印影などが相違する点が挙げられます。また、出土情況に不明な点が多いことや、発見された江戸時代は金印などの贋作が多く生み出され、学者その他の間に流行していたことが主な理由です。三浦佑之さんの…

中国に献上された奴隷には、どのような用途があったのでしょうか。 / 後漢のときに倭国から献上された奴隷は、身長が140センチ未満であったと聞きました。本当でしょうか。

「生口」について『後漢書』の記述をみてみると、ほぼ匈奴などとの戦争奴隷の意味で使用されています。彼らはやはり肉体労働か、あるいは捕虜の交換など政治的切り札のひとつとして使用されたようです。なお、身長140センチ云々の記述は、史書には出て来ませ…

狗奴国については、今どれほどのことが分かっているのでしょうか。また、邪馬台国との不和には、中国側からの扇動のようなことはあったのでしょうか。 / 呉の赤烏年号のある銅鏡は、日本のどこから出土しているのですか?

狗奴国については、男王(当時は卑弥弓呼)の治める国で、卑弥呼に従属せず、「狗古智卑狗」という官をもって統治していたということ以外、正確なことは分かっていません。かつては九州地域に比定する説が一般的でしたが、邪馬台国畿内説が有力になってきた…

魏は卑弥呼の死後、勢力を拡大するために、邪馬台国を滅ぼそうとは思わなかったのでしょうか。

外交をもって友好関係を結び、朝貢国にしておくことが、周縁の辺要国への対応としては最も肝心です。大陸内に蜀や呉の敵国を抱えた状態で、海を越えてまで軍隊を派遣することは、いつ隙を突かれてもおかしくない危険な政治判断であり、統治の困難を考えても…

魏が黄幢を下賜するということに、それほど重い意味があるのでしょうか。また、当時の日本の軍事力はどの程度のものだったのでしょう。

この頃、邪馬台国=倭国が朝鮮半島、もしくは大陸に相応の派兵を行える力があったかどうかは分かりませんが、戦争状態が長く続いていましたので、社会的疲弊はしていながらも戦争の知識・技術は進化していたと推測されます。魏が黄幢を下賜し、それを掲げ軍…

卑弥呼が魏と外交関係を結ぶメリットはどこにあったのでしょうか。魏の権威は、それほど倭国に知れ渡っていたのでしょうか。また、魏が倭を重視する意味とは、具体的にどのようなことでしょうか。地理的に近い韓の方が重要ではありませんか。

授業でお話ししたように、倭国大乱の段階から、何人かの小国の指導者が中国へ使者を派遣し、交流を持っていたと考えられます。彼らが朝鮮半島の諸国や中国王朝と交流を持とうとしたのは、鉄をはじめとする金属器やその原料、その他の宝物、知識や技術を得る…

指導力のある家系が首長として権力を強めていったとき、それが期待に応えられなかった場合、中国における易姓革命のようなことは起こったのでしょうか。

指導者層やその関係が交替する、あるいはより大きなクニヘ包括され消失する、ということはありえたでしょう。ヤマト王権すら、現在は、もともと幾つかの家系が実力主義で大王としての役割を果たしていたのが、次第に一家系に収斂してゆくものと想定されてい…

邪馬台国とヤマト政権との関係はどのようなものなのでしょうか。

これが分かれば、邪馬台国問題は解決したに等しいでしょう。王権の機能が九州から近畿へ移動するということは考えにくいので、邪馬台国が九州ならばヤマト王権とは別系統、近畿ならば連続するものとみられます。現在発掘中の纒向遺跡が邪馬台国の遺構であり…

弥生時代の首長の墓の拡大が、かなり早い時期から行われていたことに驚きました。祭祀を重要視する時代にも、首長や首長の家族の墓が巨大化するのはどうした理由からでしょうか。

弥生時代の首長墓の拡大はあくまで過渡期的なものであって、青銅器祭祀が放棄され古墳祭祀に転換する過程を意味します。昨日まで共同体の青銅器祭祀を中心になり立っていたものが、今日突然青銅器を捨てて古墳を造営し、古墳祭祀に変更するなどといった現象…

具体的に、邪馬台国の勢力はどの程度の範囲に及んでいたのでしょうか。西日本全体ですか。 / 倭国内の混乱のなかから卑弥呼が女王に立ったとされていますが、どのような理由、経緯があったのでしょうか。

文献からでは、分立していた倭の諸小国が卑弥呼を共立して王とし、卑弥呼と名づけたとあるだけなので、その経緯や勢力範囲は明確には分かりません。しかし、この共立王→親魏倭王の誕生を青銅器消滅→古墳祭祀の現象と結びつけて考えるなら、かつて青銅器祭祀…

昔、卑弥呼という名前は、日本人が「姫(姫君)」と言っていたのを、中国の人が漢字に変換して付けたと聞いたことがあります。本当でしょうか?

現在、一般的には、「ヒノミコ」=日の御子のことであり、称号であって個人名ではないと考えられています。仮にこれが正しいとすると、大王を太陽神の末裔と位置づけてゆくヤマト王権との連続性は高い、といえるかもしれません。

講義のなかで、「クニ」や「カミ」とカタカナ表記をするのはなぜなのですか。

「国」「神」などの字を使うと、漢字に付随する狭義の意味になってしまうため、テクニカル・タームとしてメタ化しして使用する目的です。「国」「神」と表記すると、漢字のそれが定着して以降の意味合いになってしまいますが、クニとすると各地域の首長権力…

倭人・倭国の「倭」はどのような意味なのでしょう。漢字の持つ意味そのものでしょうか。

そもそも「倭」が何を意味したのかについても、a)人称、b)地名、c)他称などと定まっていませんので、意味についても異論がありますが、概ね以下の3説に分けられるでしょう。まずはイ)後漢・許慎撰の『説文解字』の字義説明に基づき「柔順」と考える説、…