狗奴国については、今どれほどのことが分かっているのでしょうか。また、邪馬台国との不和には、中国側からの扇動のようなことはあったのでしょうか。 / 呉の赤烏年号のある銅鏡は、日本のどこから出土しているのですか?

狗奴国については、男王(当時は卑弥弓呼)の治める国で、卑弥呼に従属せず、「狗古智卑狗」という官をもって統治していたということ以外、正確なことは分かっていません。かつては九州地域に比定する説が一般的でしたが、邪馬台国畿内説が有力になってきた近年では、後に中央に対し独立心の強い勢力を築いてゆく東国勢力の起源、濃尾平野に展開したクニであったのではないかとする見方もあります。なお、呉の年号を持った銅鏡は2枚が出土しており、山梨県取居原古墳出土の赤烏元年(238)銘鏡と、兵庫県安倉古墳出土の赤烏7年(244)銘鏡があります。いずれも邪馬台国が魏へ遣使した前後であり、その時期の中国と日本列島との間に、魏―邪馬台国同盟とは別の政治的連関が存在したことが推測されます。