人物埴輪は被葬者が死後孤独にならないためにと習ったのですが、それは間違っていたのでしょうか。

間違っているわけではないと思いますが、非常に素朴な考え方ですね。なぜならそこには、「古墳時代の人々も現在の私たちと同じメンタリティーを持っている」という無意識の前提があるからで、これは考古学や歴史学を扱う際にいちばん注意しなければならない思い込みなのです。考え方としては、埴輪を殉葬(人間や動物を死者に随伴するものとして墓に埋葬する習俗で、生き埋めにする場合もある)と同じものとみるということでしょうが、授業で紹介したとおり、埴輪は副葬品として石室に入れられているわけではなく、何らかの場面を表現するために用いられています。その意味では、やはり正鵠を射ていないといわざるをえません。ただし、埴輪を殉葬に代えたものだとする説は、すでに『日本書紀』に埴輪の起源を語るものとしてみえており、埴輪の正当な説明はすでに7〜8世紀段階で失われてしまっていたことが知られています。「死後孤独にならないように」という説明も、8世紀の埴輪観としては正しいといえるでしょう。