童謡が出てきましたが、『捜神記』のなかでは老婆のみが信じたような書かれ方をしています。実際は、あまり信用されない類のものだったのでしょうか。

流行している童謡を民衆がどのように受け取るか、という態度は千差万別であっただろうと思います。実際はそれを分析的に解釈できるのは、史官や陰陽家などの高度な知識を持った人々で、民衆の側で主体的に判断するということは少なかったかもしれません。民衆が童謡の背景にあるものに関心を示す場合は、多く童謡とともに解釈もセットになり噂化している場合です。それらは伝播の過程で付加され集合的になってゆく場合もあれば、政治的思惑が絡み意図的に流される場合もあったと考えられます。いずれにしろ、周囲から伝わってくる情報の「裏の意味」を読み取り、主体的に行動できるのは、天や神霊に対してセンシティヴな人間であったのでしょう。