氏族制において、それぞれの氏族は自氏の歴史を神話のような形で語り伝えたとのことですが、どうして事実であることを伝説のような枠に当てはめたのでしょうか。

古代においては、近代科学主義以降の認識のように、神話/歴史が区別されていません。現在でも民族社会などでは、神話や伝説が我々のいう歴史として語り継がれている地域も多くあります。彼らにとっては、それは〈事実〉なのです。またこの段階では、未だ各氏族に中国的な歴史叙述の観念が共有されていませんので、歴史は口頭伝承の形式で伝えられます(どうやら、我々の是とする論理的な構造や散文の形式は、口承に適合的ではないようです)。その語り口は、現在の祭文や祝詞、あるいは歌謡のように、豊かな抑揚や音韻、リズムをもって物語られていたと考えられます。鉄剣名に現れたような系譜認識を縦糸、歴代の父祖の英雄的な物語を横糸として、神話=歴史が構築された。それこそが「帝紀」「旧辞」の基本要素でもあるわけです。「どうして事実であることを伝説のように…」と考えること自体、古代においてはナンセンスなのです。