歴史上、ヒト中心主義が勝利をおさめていってしまうのは、一体なぜだったのでしょうか。

勝利を収める、という表現が妥当かどうかは分かりません。人間が人間である限り、自らが生存してゆくうえで身心ともに快適な環境を追求しようとすることは、ある意味で自然なことです。しかし重要なのは、ヒトが構築した文化のなかには、そうした傾向を批判し、ヒト中心主義、ヒト至上主義を相対化しようとするベクトルが常に存在することです。それは狩猟採集時代から現在に至るまで、一貫して存在します。例えば、私が伐採抵抗伝承と名付け、樹木をめぐる心性史研究のうえに位置づけた伝承群は、樹木が伐採に対して抵抗し、伐採者である人間に危害を加えるという内容のもので、北海道から沖縄に至るまで広汎に語られています。それらが発生する時期や地域は、山林の開発が大規模に進む時期、林業地帯などに集中しているように思われます。人間社会には、人間活動が自己中心的になればなるほど、逆にそうした方向性を抑制しようとする作用も生じてくるようです。もしかすると、そうした偏重を是正し、バランスをとろうとする機能こそが、人類の文明をここまで持続させてきたのかもしれません。