亀は比較的簡単に入手できたのでしょうか。

殷代甲骨には、武丁特殊記事刻辞と呼ばれる一連の刻み込みがあり、甲骨の来源と貢納、貞人・史官の署名などが記録されています。この刻辞は、後に卜辞の刻まれる面を避け、亀甲の場合は甲橋(腹甲反面)・甲尾(腹甲正面)・背甲(背甲反面両断縁辺)に、牛の肩胛骨の場合は骨臼・骨面に、整治以前に刻まれています。内容としては、「某入若干」「某来若干」「某取若干」「某氏自某」「乞自某若干」といった形式がみられますが、「入」「来」は貢納を意味し、「取」「氏」「乞」は採取・徴収の意味を表すものと考えられています。前者の主格には王族など、後者の主格には、周・唐・羌・雀・画といった殷に従属した国々が確認できます。例えば『小屯・殷墟文字乙編』7673には「雀入二百五十/帚羊来」とあり、これは雀という国が250の甲骨を貢納し、これを帚羊という王族が仲介したことが分かります。殷墟からは、マレーシア産の大型の亀甲も発見されていますが、それはごく少数に過ぎません。河川沿岸や沼沢地などで比較的容易に入手可能なクサガメ、ハナガメなどを、支配地域から必要な分だけ獲得していたようです。