朝廷は、地方にいる人々をどのように把握したのでしょうか。使節が実際に全国を回ったのでしょうか。また、渡来人たちはみな畿内へ向かったのでしょうか。途中で集住した人々はいなかったのでしょうか。

いわゆるヤマト王権の地方把握は、講義でお話ししたとおり地域首長を通じた委任統治ですので、公地公民制を前提とした個別人身支配には至っていません。しかし、委任を認め称号を下賜した首長たちは、何らかの形で王権と接触を持っているはずです。『書紀』その他には、三韓朝貢や東国の調、蝦夷や隼人らの服属儀礼出雲国造の神賀詞奏上などの実例が残っていますので、例えば大王の代替わりや首長の代替わりなどに、中央を訪れ奉仕関係を確認する儀礼なり、祭祀なりは行われたでしょう。使者の往来を媒介することで、ある程度の報告・命令、威信財配付/調物貢上などの交渉は常時保持されていたと思われます。