乙巳の変に関して、朝廷内でクーデターについて知っていたのはどれくらいの人たちだったのでしょう。また、失敗した時にどうするか、大王から認可が得られなかったときにどうするかなど、考えられていたのでしょうか。 / クーデターが起きることは、噂などになってはいなかったのでしょうか。
実際のところはどうであったのか分かりませんが、舒明や皇極の側近ともいうべき阿倍氏、財政を統括し宮廷の警衛にもネットワークを持っていた石川麻呂を仲間にした時点で、少なくとも宮廷内においては、入鹿を包囲する布陣が出来上がっていたものと思われます。当時のヤマト王権は、大王といえど群臣の合議を無視して政治を行えない情況でしたので、蘇我本宗家が排除された時点で、阿倍・石川の勢力が朝廷の大半を占めるなか、皇極はクーデター勢力を公認せざるをえなかったでしょう(一説には、本当の黒幕は皇極だったとする見方もあります)。また、『日本書紀』では、乙巳の変に向けて、蘇我氏の専横を示す記事の他に、政変の起きる前兆ともいうべき不吉な出来事の繰り返し起こったことが記されています。これなども中国正史の引き写しなのですが、当時の宮廷社会に一種の緊張感が高まっていたことは確かでしょう。しかし飛鳥は蘇我本宗家の本拠地であり、クーデターの舞台となった飛鳥板蓋宮のすぐ西側甘樫岡には、蝦夷・入鹿の武装した邸宅が聳えていました。まさか飛鳥の中心で自分たちを排斥する事件が起きるとは、蘇我本宗家も警戒していなかったのかもしれません。